5/10(月)  5/13(木)  5/14(金)  5/15(土)  5/18(火)  5/19(水)

 5/20(木)  5/21(金)  5/22(土)  5/23(日)  5/24(月)  5/25(火)

 5/26(水)  5/27(木)  5/30(日)  5/31(月)

 

2004/05/31(月)
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 脚本がまとまらないので、頭を切り替えるため久しぶりに映画を観た。

前から気になっていた映画「ビッグ・フィッシュ」である。

面白かった。もう、泣きに泣いた。ちょっと、私が宇宙堂でやろうとしていることに似ている。

役者も適材適所で、黙っているだけで泣けてしまう。

こんな映画が撮れれば、と羨ましかった。

戦争中だからこそ撮れた映画であろう。風刺も利いていて、クリスチャンが撮ったとは思えない。

どちらかというと、アジア的な映画である。アニミズムの映画とも言えよう。

私が舞台でやりたいと思うニュアンスが随所に入っている。

昔、「夜の影」という戯曲を書き上げた後、「バンデットQ」という映画を観に行ったら、

まるで同じようなシーンが出てきて、まねされた!と憤慨したことがある。

「ゲゲゲのげ」を上演したあと、黒澤明の「生きる」を観て、

主人公がブランコをこぎながら歌を歌うシーンを観ても「まねされた!」と憤慨した。

やろうとすると、同じようなことを先達がやってしまっている。

今回のこの映画は色んな要素が詰まっている。もうかつてやってしまったことも色々入っている。

しかし、またそれらを再確認するという重要な要素が沢山詰まっているのだ。

なぜ芝居をやるのか?何が大事なのか?なぜ生きるのか?なぜ愛するのか?

私たちにどうして芝居や映画が必要なのか?

 私はきっと芝居がなかったら死んでしまっていただろう。と改めて再確認できた映画だった。

 頑張って脚本を書こう。
 

    渡辺えり子
 

 

 

 

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2004/05/30(日)
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 今日やっと、二時間ドラマ「示談交渉人 甚内たま子裏ファイル 4」の撮影が終了した。

脚本を書きながらの徹夜の撮影で、しかもぎっくり腰にもなってしまい、

この日記に愚痴を書いてなんとか乗り切ったという感じだ。

脚本の方はプロデューサーに頼み込んで、六月四日まで締め切りを延ばしていただいた。

ドラマで共演した小野武彦さんが、映画の資料に使えそうな本やビデオを

宅急便で送ってくださるという。ほんとに良い方である。小野さんは浜田光男と知り合いで、

一緒に日活の撮影所を見学したこともあるそうである。

もうひとりの共演者平泉成さんは日活映画に出演していた方である。

今丁度日活の資料を探していたので、心強い。
 

 若者が主流のドラマが多い中、「たま子」にはベテランの役者さんが多く出演されているので、

喫煙所でなんだかホッとする。今日は林隆三さんもいらして、小野さん、平泉さんと

六十代前半の男優さんに囲まれた形である。
 

 いつもは私が一番年上というドラマが多いので、

共演者とどんな話をしたらいいのかちよっと気を使う現場が多い。

 しかし今回はみんな話しが面白く、芝居の話でも盛り上がる。

みんな優しくて、フォローして下さるので、大いに助かった。

 平泉さんは薔薇を育てるのが趣味だという。横長の庭に二十数種類の薔薇を育てているという。

ブラックティーという名前の薔薇など、ぜひ拝見したいものである。

「女性を愛でる代わりかな」とおっしゃる。

「若い頃は素敵な女性に会うと、すぐに近しくなりたいと思って色々動き回ったりしたけど、

歳を取ってくると、もうめんどくさくてそんな気にならないんだよ」ということであった。

「若い時は、思ったことをやればいい。若い時の感性にかなうものはない。

技術を覚えようなんて思わずに、感じたままに演じればいいんだ」と、

喫煙所で劇団の吉田君に話してくれていた。
 

 小野武彦さんは昼休憩の時、石原裕次郎と小林旭の話をして下さり

「女優より男優にあこがれてたなあ。」とご自分は裕次郎派だったと言いながら

「キューポラのある街」の吉永小百合が自転車に乗って歌う歌を歌ってくださった。大いに笑った。


 今日は勘九郎さんの誕生日。でも、脚本の締め切りがあってうかがえない。

大いに残念である。去年のお誕生会は楽しかった。
      

           渡辺えり子


 

 

 

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2004/05/27(木)
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 仕事場では「新聞を読む」を連載している東京新聞を取っている。

一週間以上来ていなかったので、郵便受けが山になっていた。これを全部読むのか・・・と憂鬱になる。

 鉢植えの花も枯れていて、急いで水をやる。

疲れて、仕事をする気がおきない。映画の脚本のことを思うと、胸が締め付けられる。

気が遠くなってくる。しかし、明日までになんとかしなくてはならないのだ。


 ビデオや服などを持ってまた治療院へ。今度はお灸だった。熱くて悲鳴をあげる。

手には電気針。これも悲鳴。昨日、男性の美容師が腱鞘炎の治療に来ていて、

私より大きな悲鳴を上げていた。女性より男性の方が痛みに弱いというのは本当らしい。


 治療院の棚の上に六体の小人の人形が置いてある。

ディズニーの白雪姫と七人の小人の人形だが、どうして六体しかないのか前から気になっていた。

今日は患者が少ないので聞いてみると、

七体揃うと登録商標のような決まりが出てきて売れないのだそうだ。

六体だと安く作れて、販売も簡単なのだという。

それで、買った店にはもともと六体しか置いてなかったのだということである。
 

 治療院の受付に道玄坂のお店のアルバイト募集の葉書が積まれていて、

自給千五百円だったので、昨日劇団の木村絵里に急いで連絡したが、

今日その店のママさんが治療にきていた。六月からいつでも来て下さいとのこと。

七時から十二時までだから、交代でやるのに良いバイトだと思う。


 私も若い頃、自給六百円で、仲間三人でシフトを組んでバイトしたことがある。

芝居の稽古で出られないときなどに三人だと便利だった。

その中の一人だった、舞台芸術学院の同期、マリちゃんが今年、脳溢血で亡くなってしまった。

同い年でお子さんがふたり。随分会ってないので、実感がわかない。

ほんとに突然に逝ってしまったそうである。
 

 家に帰ると、後藤さんが作ってくれた玄米ご飯が冷凍してあった。

体に良いからと、小分けにしてタッパーに入れてくれたのだ。おいしかった。

これで減量もできそうである。ぎっくり腰で動けなかったので、体重が増えてしまったのである。

動けなくても食欲が旺盛なのでほんとに困る私の体質である。

 今年の夏は五キロほど減量して次の舞台に臨みたい。

この前仕事で帰郷したとき、十年前に出演したドラマ「蔵」のときの写真が出てきて

持って帰ってきたが、これがスマートで美人に写っているのだ。

このくらいは痩せようと、その時決意したのを今まで忘れていた。
 

    渡辺えり子

 

 

 

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2004/05/26(水)
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午前五時頃、「アオイバラ」の校正が終わる。小学館の編集部に渡すため

清書してくれることになっている劇団の谷口さんが午前中にとりにきてくれることになっている。

今日の午後五時がタイムリミットなのである。
 

 今回は戯曲が書きあがるのが遅れたため、ト書きをあまり書かず、

演出の際に直接もスタッフとキャストに説明した部分が多く、雑誌に掲載される際、

その部分を詳しく書き入れるよう要望があったのだった。
 

 午前六時ごろから映画の脚本のための資料のひとつ、昔の日活映画のビデオを観る。

吉永小百合、芦川いづみ、十朱幸代、泉雅子の四姉妹が織り成す恋の物語。

「四つの恋の物語」という奴である。吉永小百合の相手役はやはり浜田光男。

関口宏が恋敵の金持ちの子息の役で出ている。十朱幸代の相手は藤竜也。四人姉妹の父親が笠智衆。

父を騙す、飲み屋の女将が横山道代である。四十年ほど前の映画だから、

女優はみんな二十歳くらいのはずだが、みんな大人っぽくて、しっかりして見える。

精神年齢が今の私よりも上に見えるのが不思議である。


午前九時頃布団に入り、午後一時半頃起きる。

メールのチェックなどして、撮影の運転で迎えに来てくれた吉田君に台詞合わせを頼む。

説明的な台詞が多く、何度やっても覚えられない。四時出発、吉沢治療院で電気針の治療。

回復が早いとほめられる。右手の靭帯の方が治りにくいようである。


 午後六時八王子に着く。入り時間は七時なので、近くのワンニャン広場に行くが、五時で閉館だった。

愛子と笑子におやつのおみやげを買う。

「駅馬車」というイタリアンのチェーン店でスパゲッティーを食べる。

北海道ラーメンとまるで同じ味の味噌味の麺だった。これなら自分でも作れると思った。
 

 撮影は午前一時過ぎまでかかった。八王子のゆうやけ橋交差点で、

スタッフキャスト揃って、深夜の記念撮影をする。
 

 これで四回目の記念撮影である。

事務所の社長の小形さんが一時間ほど様子を見に来た。隆三さんと「マックザナイフ」の思い出話。

今、シャンソン歌手として活躍している高橋久美子さんも歌うこじきで出演していた。

300の劇団員だった豊川悦司も一緒に出ていた。娼婦の役で北村岳子、平栗あつみ、中島啓江も。

ポリー役は毬谷友子。なんだか随分温和になられた隆三さんだった。

当時は私も29歳で随分と喧嘩したっけ。
 

 資料のビデオを仕事場に忘れてきたことを思い出し、仕事場に泊まる事にする。
 

               渡辺えり子

 

 

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2004/05/25(火)
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 昼まで起きられなかった。今日は撮影が休みである。つくづく良かったと思う。

何をする気にもならない。しかし、締め切り原稿があるので、パソコンの前に座る。

昨日までは二階に上がれなかったが、今日は大丈夫である。共同通信の原稿を書く。

劇作家協会のインターネット講座をのぞく。九月がゲスト講師になる予定なのだが、

初めてなので、何からやっていいのか判らない。右手が痛いので、スムーズに書けないのがもどかしい。

 午後に土屋君に吉沢治療院へ連れて行ってもらう。ぎっくり腰になるといつも行く治療院である。

電気針が痛いので、いつもぎりぎりまで行かないのであるが、

今日は、イラクの虐待のことを念頭に置いて我慢する。本番中にも来たかったのだが、

たまたま休みで治療ができなかったのである。だいぶ悪いので通うように言われる。

明日は夕方出発なので、午後にまた行くつもりである。

 だいぶ良くなったように思う。帰宅したらぐったりと疲れ、また寝てしまう。

コンタクトレンズをしたまま眠ってしまい、気が付くと午後11時だった。

映画の監督から催促のメールが入っていて大いにあせる。

アオイバラの校正も明日の午前がぎりぎりの締め切りである。これから徹夜である。

寝ても寝ても疲れが取れない。

 椅子に座るのは30分が限度だと吉沢先生に言われている。とにかくゆっくり歩く。動かす。

これをやらないとぎっくり腰は良くならないらしい。筋肉をほぐさないと逆に悪いのだという。

 とにかく今日は朝まで頑張るぞ。 

   

      渡辺えり子

 

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2004/05/24(月) 
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 マネージャーの新目さんが、朝六時半に来てくれる。土屋君も付いていってくれることになった。

土屋、新目、吉田、そして愛子と笑子を乗せて出発。車の乗り降りも一人で出来ない。

今日は走るシーンもあり、しゃがむシーンもある。しかし、男手があるのでとても助かった。

 現場でリハーサルは動けないのだが、本番のスタートがかかると動けるし走れる。

火事場の馬鹿力である。切羽詰ると脳にモルヒネのような成分が出るようである。

だんだんと歩けるようになってくる。

心配した、別の、担当ではないマネージャーの小林さんまで来てくれて、

座りやすい背の高い椅子を買いに行ってくれた。

 リハーサルは助監督が変わりに走ってくれて、私は本番だけ走ればいいようにしてくれた。

ただ、痛みで台詞を言うのがつらい。力を入れられないのだ。寝不足と疲れとで憂鬱になる。

こういうときは周りの人の言動が細かいところまで気になってくる。神経質になってくる。

我慢我慢と心の中で唱える。ぎっくり腰は自分の責任である。甘えちゃいけない、と、自分を制する。

しかし、痛い。
 

 愛子と笑子がやけに可愛い。ロケ現場近くのおばさんが土屋君に声をかけてきたという。

「何やってんの?ドラマ?誰?主役?え?渡辺えり子?あ、あのデブ?デブでしょ?

なんだ、あのデブよりこっちの犬の方がずっと可愛いね。」と言ったそうである。

その場でその話を聞かなくて良かったと思う。今日は笑い飛ばす元気もなかったからである。


 昼過ぎ、もう大丈夫だろうということで、運転の吉田君以外は帰っていった。

美術の年配の方が車椅子を取ってきてくれて、撮影の後半は車椅子での移動となった。助かった。

助監督の宮崎さんが押してくれて階段も上らずに済んだ。トイレも一人で出来るようになった。

日差しが暑い。スタッフにアイスクリームを差し入れしたら、突然に寒くなった。


夜大雨になり、撮影中止。夜の八時には帰宅した。


  ぬるい風呂に入り、今日は何もせずに布団に入った。風邪気味なのか頭がボーっとする。

ロケバスにゴム製の腰のベルトを忘れてきてしまった。


    渡辺えり子
 

 

 

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2004/05/23(日) 
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 朝早く撮影に出かけようとして、靴を履こうとした瞬間、「あっ」と思った。

ぎっくり腰になるぞ、という予感である。27歳の時に初めてやって、その感じが分かるのである。

いつも舞台の前後になるのである。今回はアオイバラの本番中にもその予感はあった。

疲れがたまると起きるのである。右手の靭帯もはれていて、ひどく痛かったので、

それを庇いながら本番を続けていた。そのうち、右足が痛くなり、棒のようになっていて、

早く治療しなければと思いながら、忙しくて時間がなかった。
 

 今日の手伝いは演出部の太田さんと、その友人の池田君である。

今日は劇団の会議と深沢敦さん指導のボイストレーニングがあるため、運転を別の人に頼んだのだった。

池田君は、太田さんと明治学院大学で一緒だった、役者志望の方だという。

初対面の人にお願いするので、お互い緊張する。
 

 腰が痛いので、しゃがんだりできず、太田さんに着替えなど手伝ってくれるようお願いする。

 撮影現場で、どんどん悪くなってきたので、

朝9時頃、劇団の太郎君に阿佐ヶ谷の整体の連絡先を聞くよう太田さんに頼む。

撮影現場が阿佐ヶ谷に移動した時点で合間にそこで治療できたらと思ったが、日曜で休みだった。

 助監督が現場に整体の方を呼んでくれて、一時間ほど治療を受けたが、

腰は益々悪くなり、動くのもつらくなる。撮影は御通夜のシーンなので、ほとんど正座である。

立ったり座ったりがひどくつらい。台本を取るのもできなくなる。

誰が支えてくれる人が欲しいが、池田君も初対面だし、太田さんは初めての現場でパニクっている。

早く劇団員が来てくれないかとイライラしてくる。なにより明日の現場が心配だ。

走る場面があるのである。このままだと、撮影中止になるのではないかと不安である。

マネージャーに連絡して欲しいが、自分は動けず、電話も掛けられない。

腰が痛く、台詞を言っていると、脂汗が出てくる感じである。頭もボーっとしてくる。

劇団の会議で太郎君がぎっくり腰のことを言ってくれているはずなのになあ、と、思い、

自主公演の話などで迷惑をかけられた団員がきてくれるはずなのに、と、

ちょっと期待していたので、がっかりする。
 

 撮影は借りた場所に時間制限があり、スタッフはみんな急いでいる。迷惑を掛ける訳にはいかない。

共演者の林隆三さんとは、二十年前、ブレヒトの「マックザナイフ」でご一緒した。

そんな話で盛り上がる。ぎっくり腰を気遣ってくださる。

草村さんは「Shall We ダンス?」でご一緒した。草村さんも「何でも言ってね」と気遣ってくださる。

やはり、苦労を重ねた方たちは人の痛みに対して優しい。こちらはできるだけ迷惑をかけないよう、

元気でいなければと思う。このところ、徹夜続きなのがいけなかった。
 

 夜の八時半頃、やっと撮影が終わる。土屋君がきてくれた。ホッとする。

藁をもすがるつもりで、赤坂の超能力者のところに行く。

事務所のマネージャーや、小日向さんの大怪我を一遍に治した方である。

午後10時頃から治療を受ける。良くなった気がする。

 急に腹が減る。帰り道、車の中で、下のバックを取ろうとした途端また、グキリと腰痛がして、

良くなった腰がまたもとにもどってしまった。もう歩くのもつらい。
 

夜中の12時を過ぎて帰宅。階段も上れず、寝るのもつらい。

稽古場に布団を敷いてもらい、横になるが、痛みで眠れない。

明日の運転のため泊まりに来ていた吉田君に団員がぎっくり腰を知らなかった、

という話を聞いて「?」となる。愚痴をこぼしながら横になる。明日は朝六時起きで八王子である。

午前二時過ぎに布団に入る。不安である。

トイレにも土屋君に一緒に入って手伝ってもらったので、すべてが不安なのだ。


     渡辺えり子

 

 

 

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2004/05/22(土) 午前4時
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 朝7時起きだというのに眠れない。だからまた日記を書いて落ち着こうと思う。

10月にやる予定の新人試演会のこと、新人が言い出した自主公演のこと、映画の脚本のこと、

8月の非戦の会のリーディングのこと。考えていると眠れない。悩みが多すぎる。

一日ゆっくりと眠ってみたい。疲れているのに眠れないのはどうしてだろう?

 

 さっきまで、役者兼制作の太郎君と試演会のことや自主公演のこと、

来年10月の新作のことなどを話し、気が付くと午前3時になっていた。

いつも劇団員と芝居の内容などを話したいと思っているのに、なかなかチャンスがない。

朝早いと思っていても新作や劇団の未来の話を劇団員と話すのは楽しいものである。

太郎君も運転があるのに、やはり劇団のことが心配らしく、ついつい話込んでしまうようである。

彼はまだ大学生だが、一生懸命に未来のことを語ってくれるので、将来が楽しみである。


 鳥の声が聞こえる。寝不足続きの毎日。腹も減ってきた。今日も明日もドラマの台詞が多い。

すぐに眠れる夫と犬達がうらやましい。
 

 自暴自棄にならないよう、しっかり考え、ひとつひとつ仕事をやっていきたい。

新人たちも自分のことだけを考えるのではなく、

自分が多くの他者によって生かされているのだということを良く考えてもらいたい。

回りに思いやりのある行動を取ってもらいたいとものである。

       

         渡辺えり子

 

 

 

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2004/05/21(金)
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 今日は撮影が休みだったので、唐組を観に行く予定でいたのが、

劇団員の自主公演の要望などの件で時間がなくなり、

6月20日の千秋楽にチケットを変更させていただくことにした。

二時に吉田君が来て、話し込む。演出部の太田さんが映画の資料のビデオを取りに来てくれる。

吉永小百合と浜田光男のコンビの映画のビデオである。


 11月と12月にやる青井陽治さん演出の舞台のオーディションに奥山、吉田が受かったので、

夕方五時から制作の方との打ち合わせに行った。制作の太郎君と一緒である。

私はマネージャーとして出かけたことになる。時計を見るのを忘れ、

7時まで、色々と芝居の話や劇団のこと、制作のことなどを話し込んでしまった。

 昔劇団を主宰していたことのある方で、こちらの苦労も分かってくださる方であった。


夜8時に家にもどり、吉田、藤原、新井に自主公演の報告を受ける。

はっきりしないので、またまた叱りながら助言する。大いに疲れる。
 

 11時、藤沢太郎来る。明日の早朝からの撮影の運転を頼んだので、

遅刻しないよう家に泊まるのである。
 

 色々あり過ぎて、「せりふの時代」に掲載される「アオイバラ」の台本の校正もできず、

映画の脚本も書けなかった。もうひとり自分が欲しい。
 

     渡辺えり子

 

 

 

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2004/05/20(木)
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 映画の脚本のための資料「天皇と接吻」を読んでいたら午前三時を回っていた。

七時半に起きて、撮影現場の病院に行く。横須賀の「パシフィック ホスピタル」という、

前にスカイハイでも撮影に使った病院だった。近代的なホテルのような病院で、海に面している。

控え室の応接室も海の波が見えるだけ。静かな病院である。
 

十五年振りに大西結花さんに会った。彼女ももう三十六歳になるという。

私が初めてテレビドラマを演出した時に出演していただいた。それ以来お会いしていなかったのである。

あの時は、菊池桃子さん、相良晴子さん、河合美智子さんらが出ていて、主演は浅野温子さんだった。

日本で始めての女子寮を描いた作品だった。

出演者三百人という超大作で、徹夜続きの撮影と編集だった。
 

 子役のセリナちゃんという三歳の名演技に驚いた。

事故で意識不明の大西結花さんに「ママ」と言って駆け寄るのだが、リハーサルから涙をこぼしている。

家で何度も練習したから、とお母さんが仰っていたが、

見ているこちらが、可哀想でもらい泣きするほどの演技であった。

私などは大笑いするのは得意だが、涙を流して泣くということができない。

いつも目薬をさしてごまかすしかないのである。これからの課題である。


 午後六時に撮影が終わり、七時に家に着く。八時から、自宅稽古場で文芸春秋の写真撮影である。

劇団の制作部の藤沢太郎と木村絵里が来て、カレーライスを作ってくれた。おいしかった。

編集者の方がアメリカンチェリーを持ってきてくれたのでそれも食べたが、

ふと、古里山形もそろそろさくらんぼの季節であることを思い出した。
 

 六月二十四日発売の週間文春に載る、原稿と写真だが、テーマは紙。

「汝の財産は紙である」という題のエッセーを書いた。父の話と子供の頃の思い出をモチーフにした。

仕事の後は決算報告。「アオイバラ」はおかげさまで黒字だったが、

昨年の「りぼん」が赤字だったので、差し引くととんとんになってしまう。

来年の準備金をどうするか?悩みは尽きない。
 

 色々なおかしなことが毎日劇団で起こるのだが、

この日記を劇団員も読んでいるので正直に書けないのが残念である。

一つだけ書くと、後でやってきた制作部の後藤美紀に煙草を買いに行ってもらったが、

帰って来たとき、リビングの窓が閉まっていることに気が付かず、ガラスにぶつかってしまった。

飼い犬が驚いてものすごい勢いで吠えてしまい、なかなか中に入ってこれなかった。

三十四歳の元教師の新人だが、とにかく抜けている。

藤沢と木村が台所に倒れ込んで笑っていたのが、また笑えた。

 人間二十五歳を過ぎると、己を捨てて我武者羅に頑張るということが

なかなか難しくなってくるようである。固まってしまった頭を柔らかくするのも大変で、

赤ん坊のように、素直に心を開くというのも難しくなる。

こちらも遠慮して、あんまり細かく注意するのもはばかれる。

それに、大人のはずだから、と大いに期待もしてしまう。

 来年からの劇団のオーディションは十六歳から二十三歳くらいまでに年齢を下げようか?

と悩んでいるこの頃である。           

              渡辺えり子
 

 

 

 

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2004/05/19(水)
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二時間ドラマ「示談交渉人 甚内たま子裏ファイル」の四回目の撮影中である。

プロデューサーは大川博史、脚本は金谷祐子、演出は本橋圭太でもう四年間同じメンバーで続いている。

私が映像に出演するようになったのは28歳の時の「おしん」が初めてだったので、

演劇を始めて30年、映像20年ということになる。

割合長く続けているのに、演技はなかなか上達しない。

ほんとに役者として成長しているのかどうか、自分では良く判らない。

 現場ではいつの間にか私が一番年長者になっている場合が多く、

スタッフや共演者に怖がられたりするので、心外である。

 

 息子役は三回目までは山田孝之君だったのが、彼も人気が出て忙しくなったためか、

今年の二月末から役者になったという、名前がそのまま「二月末」という新人に代わった。

 彼も始めてのテレビということで緊張していたためか、軽い冗談を言い過ぎるので、

思わず「もっと真剣に、集中して役づくりして欲しい。」と注意してしまった。

それでも役に集中しないので、ついカッとなって強く叱ってしまった。

「気持ちでやるんだよ、気持ちで。」と、私が劇団で新人に良く言う言葉を彼にも言った。

彼も驚いたと思う。自分でもなんでそこまで腹がたったのか・・・。

 私が達者な役者なら、相手に気持ちがなくても、集中してなくても、

うまく受け止めることができるのだろうが、私も不器用なので、嘘の演技ができないのである。

しかも、相手役を好きになれないとなかなか役に入り込めない。母一人子一人の設定である。

しかも夫を交通事故で亡くしているという役なのだ。

その子供が運転免許を取ろうとして教習所に通っているというのが、今回の話である。

母親なら心配で仕方がないだろうし、

20歳になった子供を自立した大人として認めてやりたいという思いもあろう。

そういう心情を表現するためには、この息子の役の役者を愛したいと、私は思ったのだった。

そう思うと彼の一挙手一投足が気になって仕方がなくなる。彼の役者としての将来まで気になってくる。

表面的にやるのではなく、心で、と、やはり思ってしまうのである。

 今日は千葉での撮影で午前中に終わってしまった。

千葉では出番のないはずの息子役の二月君が現場に来ていた。どうしてだろうと思っていると、

彼と私の共演の場面は昨日で終わっていたため、私に挨拶するために来てくれていたらしいのだ。

「ありがとうございました」とお礼を言って「握手して下さい」と手を出された。

「またよろしくね。」と手を出した。良い役者になって欲しいと思った。


 明日は横須賀で朝から撮影なので、観音崎のホテルに泊まっている。

映画の脚本を書こうと思ってパソコンを持ってきたが、

携帯を忘れてきてしまったためメールが使えない。原稿も送れないのである。

どうも忙しすぎて大事なものまで忘れてしまう。


 脚本や演出、演技色んなことに興味のある助手を雇いたいと真剣に思う、今日この頃である。


     渡辺えり子

 

 

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 2004/05/18(火)
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 午前10時半から12時まで杉並の富士見丘小学校で演劇の授業をやってきました。

10時から校長先生、担任の先生、劇作家協会の斉藤憐、篠原久美子、丸尾聡らと打ち合わせをし、

助手として劇団の土屋良太、川崎侑芽子に手伝ってもらいました。

 六年生60人に体で四季を表現する。という課題を与え、自由に動いてもらいました。

最初はストレッチ、顔の体操、私の作った早口言葉をやってもらい、

いよいよ、春、夏、秋、冬に取りかかりました。

音は劇団で音響を頼んでいる、ベテランの原島さんに作ってもらいました。

春からイメージするものを言ってもらい、土、花、蝶、鳥の班に別れ、

相談の時間を取って動いてもらいました。

時間の足りないのと、人数が多すぎるのとで、

なかなか思うように進まず、私自身が落ち込んでしまいました。

子供たちは結構楽しんでいたようですが、もうちょっと私が考えていればと反省したわけです。

私自身が人に押し付けられるのが嫌いなので、

なんとか子供たちの自由な発想で自主的にやれればと思っていたのですが、ちょっと考えすぎました。

 どこを指図してどこを自由にするか、次回はもっと考えます。

子供たちと反省会もして、意見も聞きました。つい、命がけでやるためには・・・などと、

劇団員に言うような言葉を使ってしまったりして。

対等にしか喋れない私でした。

ひとりひとりが個性的で素直で面白い子供たちでした。

大声で喋り続けていたのでそうとう疲れました。

急いでドラマの現場に行き、撮影を続け、6時頃帰り、

運転を頼んでいる新井君と弁当を食べ、台詞合わせをしてもらったのですが、

ちょっとした事件があり、役者としての自覚が足りないと新井君に激怒し、途中で帰ってもらいました。

 子供には怒らなかったのですが、大人には怒る私でした。

疲れて子供の作文のようになってしまいましたが、

余裕のあるとき、もっとていねいにかくつもりです。明日は朝6時起きで千葉です。
 

        渡辺えり子

 

 

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2004/05/15(土)
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映画の脚本の資料で映画のビデオ「無法松の一生」「光る海」「愛と死を見つめて」を観る。

閉鎖される古い映画館が軸になる脚本なので、館主や、主人公の思い出の映画を探すためである。

「無法松の一生」本当に素晴らしい映画である。全然古くない。脚本も撮影も見事である。

役者も坂東妻三郎が凄い、そして、彼が恋い慕う、未亡人役の園井恵子が抜群に良い。

子役の長門裕之も名演技だ。園井恵子は宝塚の男役出身で、盛岡生まれ、

その後映画に出ないと思っていたら、広島で被爆していた。丸山定夫の桜隊の座員だったのだ。

井上ひさしの「紙屋町さくらホテル」で三田和代さんが演じたおの役のモデルだったのである。

驚いた。32歳の若さで亡くなってしまったのだ。

後に、同じ稲垣浩監督で三船敏郎が演じてベネチアで賞を取った「無法松の一生」もあるが、

断然坂妻の奴の方が良い。

最初の坂妻のものは、戦時中に撮影され、終戦の2年前に公開された。

戦時中なのに、戦時中だからか、第一次世界大戦中に撮影された、

天井桟敷の人々に匹敵すると私は思う。

しかも、検閲で二度もカットされ、完全版ではないのに素晴らしい。

どこがカットされたかは、戦後の三船版を観れば分かる。しかし、全然違うのだ。

長くなるので、また、書きあがったら、詳しく書こうと思う。

 夕方6時からは監督とプロデューサーと脚本の打ち合わせ。

吉永小百合と浜田光男の映画についても今度書きたい。これも色々と面白いのだ。

女性の方が男性より強く優しく描かれるのがこの二人のコンビの日活映画の特徴なのだろうか?

これもまた、びっくりした。これも詳しくは書き上げてから。
 

     渡辺えり子

 

 

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2004/05/14(金)
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 徹夜で締め切り原稿を書き、朝の7時に寝たら、昼の3時まで起きられなかった。

演出部の太田さんが、昨日頼んだ、映画の脚本のための資料を届けてくれた。本2冊とビデオ6本。

仕事のため運転を頼んだ吉田君がご飯を作ってくれた。目玉焼きと、アボガドの刺身。

 午後6時15分、池袋サンシャイン劇場。「チームナックス」という北海道の劇団の公演を観劇。

北海道放送がこの劇団のドキュメントを撮っていて、私がそのナレーションを依頼され、

今日は観劇している様子と楽屋で感想を語るシーンを撮るのである。

北海道で一万人のお客を入れるという人気の劇団だという。ロビーは女性の客で溢れている。

吉本興業からなどの花がずらっとならぶ。

東京で初めての公演だというのに、これはどうなってるんだろう?とひどく驚く。

地方から人気が出て、東京で公演という、今までとは逆のパターンの劇団である。

男性ばかり、五人の集団で作演出も役者で出ている。30代前半の役者五人である。

 芝居は面白かった。テーマに真面目に向き合い、

稽古を重ねて必死に演劇を創造しようとしている姿勢に好感が持てた。

役者もさすが10年選手。台詞に淀みがなく、活舌も良い。

新撰組と勤皇の志士と何役も五人で演じ、五人とも出ずっぱりである。

「戦争」を考えさせるタイムリーな芝居だった。

うちの新人の男優たちも、これくらい責任を持って演じて欲しい、と思った。

終演後、楽屋に行ったら、私が来ることを知らされていなかったらしく、非常に喜んでくれた。

私の感想に真剣に耳を傾けてくれる役者たちの表情を見て、本当に真面目なんだな。と改めて思った。

劇団でいいな。と思った。

うちの劇団員もこれくらい真面目に私の話を聞いてくれたら良いのに。と思った。

うちの劇団員は環境に恵まれすぎている。だから、ハングリー精神が弱いのだな、と再確認した。
 

        渡辺えり子

 

 

 

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2004/05/13(木)
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映画とドラマの衣裳合わせがあった。

前から決まっていたもので、「アオイバラ」が終わるのを待って、色々な仕事が入ってくる。

映画は黒土三男脚本監督の「蝉しぐれ」である。藤沢周平原作で、ロケ地は山形県である。

この頃、日本の映画は私の古里山形でのロケが多い。

山田洋二のもそうだったし、女子高生のジャズバンドを描いた奴もそうだし、蕨野考もそうだし・・・。

私は民謡を歌う女郎の役でワンシーンだけ出演する。

とにかく陽気に色っぽく、というが、できるかどうか?売れっ子の女郎の設定だと、監督は言う。


ドラマは陣内たま子シリーズの四本目。17日から30日までの撮影である。

いつものスタッフ、いつものメンバーに今回は林隆三さんがゲストである。

そのあと依頼された映画の脚本の打ち合わせがあった。

これは私のせいだが、締め切りが大幅に遅れている。芝居が終わるまで待っていてもらったのだった。

第一稿は前に出していたのだが、30分ほど尺が足りないらしい。

もともと原作が短い短編なので、ほとんどを創作しなければならないのだが、

この一稿を書いているうちに別の映画の撮影が入ったり、別の締め切りが入ったり、

戦争が泥沼化したりして、宇宙堂の戯曲も大幅に遅れ、それにともない、非戦の会の構成も遅れ、

脚本の第二稿も遅れ、というふうに、全部押せ押せになって迷惑をかけてしまった。

しかし、ドラマなどは撮影が決まってしまっているので、もう17日に提出しなくちゃならないのだ。

芝居が終わっても、全然休む暇はない。

差し入れのお礼状書きもやっと徹夜で終わらせ、

またまた徹夜で脚本の資料を観たり読んだりするのである。

缶詰になりたいが、ちょっとした別の仕事もあって難しい。劇団員への説教という厄介な仕事もある。

体が三つ欲しいと思う今日この頃である。

 

     渡辺えり子

 

 

 

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2004/05/10(月)
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長い間更新できずにすみませんでした。

「アオイバラ」5月9日千秋楽を迎えました。皆さん応援ありがとうございました。

掲示板に感想を書いてくださって、本当に感謝しています。

ベテランの客演を頼まず、初めて団員中心にやる公演だったので、ほんとに大変でした。

しかも、戯曲が書きあがったのが、4月17日。普通なら中止です。

最後まであきらめなかったスタッフの心意気と団員のおかげで上演できました。

もう、色んなことがありすぎて、ここには書けません。

掲示板で質問していただいたら、お答えしたいと思います。

そんな中で、5月5日に非戦の会のリーディングまでやったのですから、まさに火事場の馬鹿力です。

人の命はひとりひとり、唯一無二のもので、代わりはありません。

こうしている今もイラクの子供たちは死んでいっています。何の罪もないのに。

イラクだけではなく、世界各国で武力による虐殺が続いています。

私たち日本は憲法に守られているので、こうやって演劇が出来るわけです。

本番もリーディングも大変だったけど、幸せです。私たちは。好きなことができるのですから。

劇団員たちも、生まれて初めてやることばかりで、ほんと大変だったと思うけど、

これから大人として生きていくうえで、色々と勉強になったはずです。

 とにかく正常な感覚を持ってほしい。それは、人を思いやる。

相手の身になって考えるということです。

こういう想像力が演劇にも非戦にも重要だと私は思っています。

今度、ホームページに私が新聞に書いている原稿なども載せたいと思っています。

色んな文章書いてるんですよ。ファンの方には読んでいただきたいです。

先日、韓国の例のヨン様と言われている役者が「ファンは家族と同じだ」と言っていました。

なぜかというと、良い時も、悪い時も支えてくれるからだ。ということ。なるほどね。

私も皆さんが支えてくださっていると思うと、勇気がでます。

いっぱい仕事を抱えてクタクタでも、頑張れます!

今後ともよろしくお願いします。

 

     渡辺えり子

 

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