2004/05/23(日)
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朝早く撮影に出かけようとして、靴を履こうとした瞬間、「あっ」と思った。
ぎっくり腰になるぞ、という予感である。27歳の時に初めてやって、その感じが分かるのである。
いつも舞台の前後になるのである。今回はアオイバラの本番中にもその予感はあった。
疲れがたまると起きるのである。右手の靭帯もはれていて、ひどく痛かったので、
それを庇いながら本番を続けていた。そのうち、右足が痛くなり、棒のようになっていて、
早く治療しなければと思いながら、忙しくて時間がなかった。
今日の手伝いは演出部の太田さんと、その友人の池田君である。
今日は劇団の会議と深沢敦さん指導のボイストレーニングがあるため、運転を別の人に頼んだのだった。
池田君は、太田さんと明治学院大学で一緒だった、役者志望の方だという。
初対面の人にお願いするので、お互い緊張する。
腰が痛いので、しゃがんだりできず、太田さんに着替えなど手伝ってくれるようお願いする。
撮影現場で、どんどん悪くなってきたので、
朝9時頃、劇団の太郎君に阿佐ヶ谷の整体の連絡先を聞くよう太田さんに頼む。
撮影現場が阿佐ヶ谷に移動した時点で合間にそこで治療できたらと思ったが、日曜で休みだった。
助監督が現場に整体の方を呼んでくれて、一時間ほど治療を受けたが、
腰は益々悪くなり、動くのもつらくなる。撮影は御通夜のシーンなので、ほとんど正座である。
立ったり座ったりがひどくつらい。台本を取るのもできなくなる。
誰が支えてくれる人が欲しいが、池田君も初対面だし、太田さんは初めての現場でパニクっている。
早く劇団員が来てくれないかとイライラしてくる。なにより明日の現場が心配だ。
走る場面があるのである。このままだと、撮影中止になるのではないかと不安である。
マネージャーに連絡して欲しいが、自分は動けず、電話も掛けられない。
腰が痛く、台詞を言っていると、脂汗が出てくる感じである。頭もボーっとしてくる。
劇団の会議で太郎君がぎっくり腰のことを言ってくれているはずなのになあ、と、思い、
自主公演の話などで迷惑をかけられた団員がきてくれるはずなのに、と、
ちょっと期待していたので、がっかりする。
撮影は借りた場所に時間制限があり、スタッフはみんな急いでいる。迷惑を掛ける訳にはいかない。
共演者の林隆三さんとは、二十年前、ブレヒトの「マックザナイフ」でご一緒した。
そんな話で盛り上がる。ぎっくり腰を気遣ってくださる。
草村さんは「Shall We ダンス?」でご一緒した。草村さんも「何でも言ってね」と気遣ってくださる。
やはり、苦労を重ねた方たちは人の痛みに対して優しい。こちらはできるだけ迷惑をかけないよう、
元気でいなければと思う。このところ、徹夜続きなのがいけなかった。
夜の八時半頃、やっと撮影が終わる。土屋君がきてくれた。ホッとする。
藁をもすがるつもりで、赤坂の超能力者のところに行く。
事務所のマネージャーや、小日向さんの大怪我を一遍に治した方である。
午後10時頃から治療を受ける。良くなった気がする。
急に腹が減る。帰り道、車の中で、下のバックを取ろうとした途端また、グキリと腰痛がして、
良くなった腰がまたもとにもどってしまった。もう歩くのもつらい。
夜中の12時を過ぎて帰宅。階段も上れず、寝るのもつらい。
稽古場に布団を敷いてもらい、横になるが、痛みで眠れない。
明日の運転のため泊まりに来ていた吉田君に団員がぎっくり腰を知らなかった、
という話を聞いて「?」となる。愚痴をこぼしながら横になる。明日は朝六時起きで八王子である。
午前二時過ぎに布団に入る。不安である。
トイレにも土屋君に一緒に入って手伝ってもらったので、すべてが不安なのだ。
渡辺えり子
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