2004/06/05(土)
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30分ほど寝て朝8時起床。新幹線で山形へ。寝てないのに、今日は一日で三本の講演だ。
制作部の藤澤太郎と木村絵里が一緒に行く。物販があるため、三箇所をスムーズに移動するためには、
二人必要と藤澤が判断したためである。
一本目は「憲法を守る会」主催の平和講演。午後2時から3時半まで。
皆さん熱心で、質問にも今の日本に対して危機感を持つ山形人の熱さを感じた。
「山形人は元来おとなしいと言われ、思ったことをなかなか口にできない人が多い。
えりこさんはとても山形人には思えないほど元気だ」とも言われてしまった。
今日は寝不足で元気ではなかったが、お客さんには元気に見えるらしい。
私は喋っているうちに、どんどん元気になってくる性質である。
言いたいこと、言わなくてはならないと思うことを訴えているうちに興奮してくる。
それをお客様が支えてくださる。戦争を止めたい。それが必死の願いだからである。
坂手さんからメールでいただいた、ファルージャの日記を朗読した。四月十一日の日記である。
練習する時間がなかったが、みんなじっと耳を傾けてくださった。
高畠町の役所の方が迎えに来てくださり、50分かけて、高畠町へ。浜田広助会館へ。
地元の木を使って建てたという、円形の会館は温かみがあって、
ホッとする芝居小屋のような会館であった。町長さんはじめ、有機栽培の農家の方や肉屋さんなど、
会場は満杯で、家族的な雰囲気。ここも皆さん熱心に聴いてくださる。
演題は「童話と私」幼い頃から影響を受けた童話や、浜田広助を再読して新たに感じたことなどを話す。
山形の自然と農業問題。介護の話、都市と農村の話など。
皆さん、泣いたり、頷いたりしてくださるので、私もつい乗ってしまい、時間を延長してしまう。
夕方5時から7時まで話してしまった。浜田広助の話はいつかまた詳しく書きたい。
ここでも命のたいせつさを強調する。高畠町の景色が好きになった。今度、劇団で合宿してみたい。
役所の方が次の講演先まで送ってくださる。
蔵王成沢近くの私立第9中学校である。45分で到着。校長先生や父兄と打ち合わせ。
弟が勤める学校の母親塾が主催である。全校生徒350人の父兄がお客である。
高校の演劇クラブの仲間にも父兄がいて、久しぶりに会う。体育館に400人以上の父兄が座っていた。
豪華な花束をいただく。司会も母親たち。弟が照れながら講師紹介をする。
パソコンを使って、スクリーンに映写するというなかなか凝った紹介。
10分で私の演劇の歴史が分かるようになっている。
思わず「なるほどねえ」と呟いて、大いに受けてしまった。
八時から会が始まり、終了は九時四十分。
こんな夜遅くから始めたのに、最後まで熱心に聞いてくださった。
中味は子供の教育の話であるが、若い劇団員の話などや夫の話。佐世保の小学生の話。非戦の話。
そして学校の思い出と学校のあり方、親子の関係など、普段思っていることを話す。
弟の車で、夜10時15分に実家に帰宅。母の手料理で父の誕生会をやる。
父の誕生日は六月七日だが、みんな揃うのでこの日にやろうと前々から予定していたのだ。
しかし、腹が減った。昼に弁当を食べたきりで、移動の間、バナナで我慢していたのだった。
父は三つの講演のすべてを聴いてくれた。一緒に一日行動してくれたのだ。
そして、何より、父が喜んでくれたのが嬉しかった。
本当に疲れたが、聴いてくれる人が喜んでくれると疲れも消えてしまうのだった。
午前2時から太郎、木村と制作会議。
早く寝たいとつくづく思うが、話がなかなか進まず、いい加減切れそうになる。
渡辺えり子 |