7/1(木)  7/2(金)  7/3(土)  7/7(水)  7/8(木)〜12(月)  7/13(火)  7/22(木)  

7/22(木) 夜  7/23(金)  7/24(土)   7/25(日)  7/27(火)

 

 

 

2004/7/27(火)  
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 ニューヨークは大雨。また、今日もホテルの部屋が掃除されていなかった。

日本人のスタッフに連絡してもらったのにもかかわらずである。

本当に連携の悪いホテルである。

高級ホテルと言われているのに、一週間で二度、掃除をしてくれない日があった。

英語ができればと落ち込む日々である。

日本の一泊五千円のホテルでも、もっとサービスが良いと断言できます。


 夜7時開演の「屋根の上のバイオリン弾き」を観た。デビットルボーの演出である。

とても良い演出だった。見事なアンサンブル。振り付けも良く、音楽も良い。

セットはベニサンピットで見たことのある雰囲気。

枯葉を敷き詰めた舞台の中央に少しだけヤオヤになった板の舞台があり、

それが斜めに上がったり下がったりする。

床に穴が開いていて、人が登場できるようになっている。

すべて自然で、気負いがない。役者も良かった。

放浪せざるを得ないユダヤ人の生き様とその根底に流れる情念とでもいうのだろうか?

止むに止まれぬ激情のようなものの暗喩をバイオリン弾きが担っているのが良く理解できた。

ラストで、移動することのない記憶と歴史の象徴のような乞食を登場させ、

子供にバイオリンを奪わせた演出に、未来の希望も読み取ることができた。

大いに笑わせてくれたのも嬉しかった。


 帰りに、好江さんに聞いた寿司屋に行く。しのぶちゃん、はるくちゃん、高泉さんと一緒。

値段は高かったが、本当においしい創作寿司だった。

汁に漬け込んだ鯛の上にめかぶが乗っていたり、フォアグラが乗っていたり、

焼いたトマトと貝があったり、ミスマッチなのにとてもおいしい、天才的な職人であった。


 いよいよ明日の昼の便で帰る。28日に立って、帰国は29日である。

一週間で六本の芝居と一本のコンサートを観た事になる。

中村座は二回観たので、舞台を八本観たことになる。

一週間しかいなかったのに、一ヶ月くらいいたような濃厚な日々だった。

愛子と笑子と夢彦に早く会いたい。

   

 

   渡辺えり子
 

 

 

 

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2004/7/25(日)  
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 晴れ 午後3時からの「ゴーダ−ズ バルコニー」を観る。

レン アイズ劇場。ブロードウェイ44丁目の劇場である。

中年の女優の一人芝居で、かなりの実力派である。

二時間ひとりで喋りっぱなしで少しもあきさせなかった。

観劇前に大竹しのぶちゃんと昼食を食べる。

しのぶちゃんは動作も素早く、英語も得意で頼りになる。
 

 一人芝居は実在したイスラエルの首相の人生をひとりで語り、演じるもの。

石造りの廃墟のようなセットの中央に首相の机があり、

年老いた女性が半生を語り、ラストにまた時間が現代にもどる。

一人息子をなくしたこと。夫をなくした話。

1948年のイスラエル建国時の演説など、

ユダヤ人の苦悩の歴史を随所に入れながら進めているようだ。

ようだ、と書かざるを得ないのは、私が英語が分からないためで、

全部想像で観るほかはない。お客は全員ユダヤ人である。

そうとしか思えない反応である。

客席に黒人が一人もいないというのも初めても経験。

いや、先日のユダヤ人の一人芝居の時もそうだった。
 

 戦争中の今、アメリカに住むユダヤ人たちが、

自分たちのアイデンティテーを再確認し、

イスラエルという国の理想をもまた再確認しようとしているようである。
 

 2000年も放浪し、多くの犠牲を強いられてきたのに、

平和はまだまだ遠いという現状にたいしての祈りのような意識が感じられた。

しかし、今、パレスチナで起きていることを考えると、胸が締め付けられる気がする。


一人芝居のラストの台詞が「シャローン」である。

老女が何度も呟く言葉である。「平和」という意味のヘブライ語であったと思う。
 

 私の中学時代、キャンプファイヤーを囲んで

「シャローンチャベリン シャローンチャベリン シャローン シャローン」と良く歌ったものだったが、

それが平和を祈る歌だとは知らずに歌っていた。
 

 しかし、ユダヤ人はホロコーストというあってはならない残酷な目に合ったというのに、

なぜ、今、パレスチナ人に似たような思いをさせなくてはならないのか?

本当に不思議である。みんなが平和を願っているのに、なんとかならないものなのか?


と、この芝居を複雑な思い出観たのであった。
 

 終演後喫茶店で、しのぶちゃんに芝居の中味について説明する。

日本人のほとんどはパレスチナ問題を知らずに過ごしているのである。
 

 アメリカに住むシオニストたちとブッシュの関係は濃密であるらしい。

演劇の力とは何か?やはり戦時中の演劇は尋常ではなくなってくる。

歌舞伎を観て改めて思うのは、まだ日本の演劇は自由であるということ。
 

 ブロードウェイの新作は、すべて自由ではなくなっているように思える。

 夜は「平成中村座」の千秋楽を観る。

昨日よりもまた芝居が緻密になってきている。

役者ひとりひとりの輪郭がさらにはっきりしている。

もっともっととストイックに理想に向おうとする役者たちスタッフにさらに感動した。

カーテンコールではすべてのスタッフが舞台上に上がり踊っていた。

いつもはうるさいユニオンのひとたちも、千秋楽ということで、すべて例外を許してくれたらしい。
 

 打ち上げで、今回の芝居作りの裏話などもうかがったが、

本当に大変な思いで成し遂げた公演であることがわかった。

受け入れる側のスタッフの努力もそうとうにものだったらしい。

話を聞いただけでも感動する。まるでプロジェクトXである。

浅草の職人さんたちも非常に嬉しそうだった。勿論勘九郎さんも。

笹野さんの話だと、舞台上で勘九郎さんが泣いていて、

いじめる役なのに、いじめたくなくなったそうである。

しかし笹野さんもすごい。歌舞伎役者じゃない男優が出演し、

これだけの評価を得られるとは。外国では誰が誰なのか知らない分、

お客は素直に演技だけを観る。

色眼鏡のない見方で名優と賛辞の言葉を貰って本当に良かった。

プレッシャーに耐え、苦労したかいがあったというものである。
 

私も頑張らなくては。
   

 

   渡辺えり子
 

 

 

 

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2004/7/24(土)  
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ニューヨークは昨日は大雨。今日は小雨のち晴れ

やっと「平成中村座」観ました。

まず、浅草と同じ芝居小屋をわざわざリンカーンセンターに建てちゃったという遊び心がすごい。

勘九郎さんの友人の職人さんたちが、劇場前で、人形作りや、

芝居文字の木の札作りの実演をやっているのもすごい。

みんなボランティアでニューヨークまでやってきて、芝居の雰囲気作りを手助けしているのです。

もうここがどこだか分からない。回りのビルがなければ浅草と同じです。

芝居の中味も、東京より繊細になっていて練られている。

45分もカットしなくてはならなかったと聞き、どうするのだろうと思ったが、

前半を英語の解説入りで、ダイジェストにまとめていた。

それが、わざと、旅回りのレスリングのショーみたいに、安っぽくやっているのが、

後半の細かい心理の演出とに差があって、大いに笑えた。

役者のひとりひとりの演技が細かくなっている。

それで、ラスト近くの大スペクタクルがさらに利いてきていた。

小屋は台詞の反響などの点で良い出来とは言えないかもしれないのだが、

凝縮された演技と演出で引き込まれた。ニューヨークだからといって誰もうわっついていない。

こちらも、場所を忘れて引き込まれた。ブロードウェイの新作より俄然面白い。

そして豊かである。私には反戦の芝居にも思えた。

人一人殺してしまう話をこれほどていねいに、命のたいせつさを表現してくれたら、

「戦争」の文字が一つも入っていなくても、そう思える。今のアメリカにはできない芝居である。

そしたら、アメリカの普段厳しい劇評家が同じことを書いて絶賛したらしい。

勘九郎さんの長年の夢が叶い、本当に良かった。思えば長い道のりだった。

私と同い年の彼が、昔から言っていたことを着実にひとつひとつ実現していく姿をみているのは

本当に嬉しい。その努力と勇気を尊敬する。

私も頑張らなければと思う。

昼は初めて「ライオンキング」を観た。これも泣いた。演出が歌舞伎や文楽に似ている。

ほとんどが黒人の出演者なのも良い。

これは、今のニューヨークの舞台の状況やもろもろの意味もこめてのことだが。

一人だけアラブ人が出ていたのも良い。

勿論そういうこととは関係なく実力も凄く、みんな精神が美しく、勿論姿形も美しい。

声はまるで楽器のよう。遊び心があって、歌舞伎的。

人の想像力の凄さを思う。色彩も音楽も美術も良かった。

中村座に偶然、「ライオンキング」の演出家がきていて、立ち話をした。

聞けばやはり、歌舞伎と文楽の影響を受けたと言う。

私の声が良いと褒められて、なんだか嬉しくなった。

終演後、彼女は泣いて感動していたという。やっぱり、と思った。

チャイナタウンから始まって、嬉しくて、みんなで朝まで飲んでしまった。

勘九郎さんともゆっくりと話した。大成功、本当に良かった。

長くなるので細かいことが書けないのが残念だが、本当に気分の良い一日だった。
 

 

   渡辺えり子
 

 

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2004/7/23(金)  
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 ぐっすり寝ようと思ったが、仕事の電話で起こされてしまう。

一度起きると寝られない。くそう。

お昼、勘九郎夫妻と夫妻のお友達の森本さんとインド料理を食べる。

いろんな種類の料理を自分で好きなだけ取って食べる形式。

ついつい取り過ぎて、またまた好江さんの倍は食べてしまう。

四時ころからはるくちゃんと買い物へ。

色んなメーカーの服やバックが半額で買える19丁目のデパートのようなところ。

驚くほど安い。大きいサイズが豊富なのもアメリカならではである。

VIVIAN BEAUMONT THEATERで「THE FROGS」を観た。

「かえるたち」と言う題である。

私も300時代「深夜特急」という芝居でかえるを沢山登場させたので楽しみだった。

 私の作品と違って、この舞台ではカエルはマイナスイメージに使われていて、

現状に甘んじて、夢も希望も抱かない、庶民の象徴であるらしかった。

ネイサンアレン主演のミュージカルである。

風刺の利いた台詞が多いらしく、客は良く笑っていた。 

全編パロディーといった雰囲気の芝居である。現実に生きている人は誰も出てこない。

ギリシャの神や、バーナードショーやシェークスピアが出てくる。

 現代社会を憂えたディオニッソスが、

黄泉の世界からバーナードショーを連れてこようとして、

結局シェークスピアを連れてくるという話らしい。

バーナードショーとシェークスピアが台詞の勝負をしてシェークスピアが勝つ、

というシーンがある。これがどういう意味なのか判らない。

美しい日本人のダンサーが出ていて、ついそっちに目が行ってしまう。

演出は、この前串田さんが日大で演出した「ユビ王」に似ている気がした。

フランス人が前に演出した「百万回生きた猫」にも似ている。

カエルはちょっとしか出てこない。「キャッツ」のパロディーなのだろうか?

 ラストはシェークスピアが現代のニューヨークに来て、

まだ貿易センターが爆破される前で終わっている。

時空を超えた破天荒なストーリーは昔の日本の小劇場に似ているかもしれない。

しかし違うのは、たぶん、ものすごく分かりやすい芝居なのだと思う点である。

 ホテルに帰り、腹が減ったので、近くのスーパーでサンドイッチといちごとビールを買った。

今日こそ昼まで寝るぞ。

 

      渡辺えり子

 

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2004/7/22(木)  夜
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 LYCEUM THEATREで「I AM OWN WIFE」を観る。

今年トニー賞を取った男優の一人芝居である。

オフブロードウェイで上演されていた舞台が、今年からブロードウェイでの上演になったらしい。

英語が分からないので、90パーセント想像で観た。

役柄のため、ドイツ語訛りの英語で喋っているため、はるくちゃんも解読不能の部分が多々あったという。

休憩の時、はるくちゃんに色々と質問したが、はるくちゃんも分からない部分が多く、

アメリカ人の観客に質問してくれた。しかし、アメリカ人にも分からなかったらしい。
 

 実在した女装の博物館の管理人の自叙伝を脚色した、一人芝居であった。

戦前、東ドイツに住んでいた、ゲイのユダヤ人が、彼のドキュメントを作るためやってきた、

アメリカの、ゲイのジャーナリストに取材を受ける、という設定になっている。

ホロコーストで受けた差別。そこで殺されてしまった彼の恋人。没収された家と思い出の家具。

今はもういないユダヤ人たちの思い出の家具を集めて、思い出の博物館を作り、

それらを守り、歴史を伝えようとする、年老いた管理人の話である。

若い頃、母親に早くお嫁さんを貰いなさい、と怒鳴られた時に、彼が言った言葉。

「私自身が私の妻なのだ」という台詞が題名になっている。
 

東ドイツ出身、ユダヤ人、ゲイと、差別される側の少数派の三重苦をユーモアを交えて演じていく。

そして、一人で40種類の役を演じ分けている。形ではなく、ハートで演じ分けているのが良かった。

奥が深く、重たいテーマをまっすぐに受け止め、器用にこなしていないのに好感が持てた。

ユーモラスな主人公の孤独な影の部分が時折くっきりと浮き出るのが良い。

セットも面白く、心理の多重構造が歌舞伎的でもある。
 

 英語が分からないので、考えながら真剣に観すぎて、終演後に急に疲れが出た。

勘九郎さんたちと待ち合わせて、午後10時半すぎから夕食。江川卓元投手夫妻、扇雀さん、はるく夫妻らと。

ニューヨークではお店はすべて禁煙なので、途中外に出て吸ったりしているが、

面倒なのでこの際禁煙したいものである。

パリで食べ過ぎて、腹が異常に出てしまい、勘九郎さんはじめ、数人に注意を受ける。

自分でも驚くほど腹が出た。これもなんとかもどしたい。
 

 

    渡辺えり子
 

 

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2004/7/22(木)
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 昨日からニューヨークに来ている。

昨年から約束していた「平成中村座」を観劇するためである。

21日は徹夜で非戦の会の台本を書いていて、危うく飛行機に乗り遅れるところだった。

午前7時まで作業し、半に出て、9時には成田のカウンターという予定で、

何も準備せずに慌しい出発となった。

19日まで劇団の合宿だったので、興奮して眠れず、

またまた、20日は「さんま御殿」の撮影で、濃いメークをしたまま、風呂にも入らず台本作り。

そしてそのままニューヨークで、午前11時頃にホテルに着いたのだが、

午後3時までは部屋に入れず、勘九郎さんの奥さんの好江さんを呼び出して、部屋で休ませていただく。

携帯電話が使えず大いに苦労する。橋之助さんの奥さんに物凄い時間を掛けて直していただく。

準備する時間がなさ過ぎて、みんなにご迷惑をお掛けしてしまった。
 

 56丁目の「メンクイテエ」で野菜ラーメンを食べる。

疲労のため脂っこいものが食べられないので、やはり日本食になる。

 ホテルでパソコンを繋げようとしたがうまく行かない。

ニューヨーク在住の篠崎はるくちゃんに来てもらい、見ていただく。

ホテルの日本人スタッフを呼んで、パソコンに詳しいスタッフを連れてきてもらい、工事が始まる。

ホテルのケーブルが故障していたらしく、三個も取替え、物凄いことになった。やっと繋がる。

 非戦の会の緊急連絡があるため、どうしても必要なのである。

またまた一睡もせず、夕食会。

勘九郎さん、好江さん、笹野高史さん、亀蔵さん、七之助さん、ら出演者と、

唐沢寿明、大竹しのぶら観客たちとベトナム料理店で食事。
 

 大盛況でもう切符も手に入らないということ。

21日の夜に観に来た、アクターズスタジオの校長が「私が人生で観た、最も感動した芝居だった」と言い、

持っていた自分のかばんを勘九郎さんにプレゼントしたという。

あの教育テレビで良く放送している、ハリウッドのスターにインタビューしている方である。

ハービーカイテルも切符がなくて帰ったくらいの盛況である。

ニューヨークタイムズの一面に大きな写真が載り、大絶賛の劇評が載っている。

普通、この欄にこのくらいの記事がのると、三年以上ロングランできるのだという。
 

 ニューヨークに来て、昼夜二回公演というのは信じられない。

スケジュールの都合かも知れないが、日程を長くして、夜一回にすれば、みんなの体も休まるのに、と思う。

勘九郎さんの気力、体力は神業である。
 

 時差のためか、ホテルで休んでも、すぐに起きてしまった。

仕事から離れ、久しぶりにゆっくりしようと思っても、なんだかそわそわしてしまう。

導眠剤も持ってくるのを忘れた。外国に来ると、何かしなくてはと落ち着かなくなる。どうにも貧乏症である。

しかし、まるで、今、戦争をしている国の一部とは思えない都市、ニューヨークである。

つい昨日まで様々な資料を読んでいたため、複雑な心境になる。
 

 今朝は早くに目が覚め、メールを見ようとしたら、また繋がらない。

日本人スタッフにメッセージを残し、昨日はるくちゃんに教わったスーパーに行く。

 日本で三個5000円だったマニキュアが、一個約250円だったのでお土産に数個買う。

そして、きのうのラーメン屋で冷やし中華を食べる。やはり、油物は食べたくないのである。

ホテルに帰ると、パソコンを直してくれていた。メールを返信し、こうして日記を書いているのである。

夏休みなので、どの劇場もチケットが取り難く、プレミアがついているらしい。

はるくちゃんが必死で連絡を取ってくれている。舞台を観たら感想を書くつもりでいる。

 

 

      渡辺えり子
 

 

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2004/7/13(火)
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「非戦の会」のリーディング用の台本作りのため、仕事場に来ている。

昨日は新しいパソコンでの操作が分からず徹夜してしまった。

しかし、朝方から久しぶりにゆっくりと寝た。

導眠剤を使わずに寝たのは久しぶりである。
 

夕方、スタイリストの矢野さんが、出来上がったカーテンと

頼んでおいたワンピースと靴を持ってきてくれた。

パリで買ってきた生地でカーテンを作ってもらったのである。

パリには河童橋のような問屋街があり、様々な生地を驚くほど安く売っているのである。

時間とお金があれば、舞台用の生地をどっさり買い込んできたかったが、そうもいかない。

ワンピースと靴は、ニューヨークで、公式のパーティーなどに呼ばれたときに

さっと着られるような、皺にならないものを頼んでおいたのである。
 

矢野さんは、若いのに、良く気がつき、想像力のある、責任感の強いスタイリストである。

 彼女の初めての仕事からの付き合いだが、同僚がハードな仕事のため、

次々とやめていく中、たったひとり生き残ったという根性の持ち主である。

早い人は三日で辞め、長い人で二ヶ月という、そんな状態だった。

スタイリストという仕事は一見華やかそうだが、

重い荷物をひとりで抱え、朝早くから夜遅くまで、気を抜くことのできない仕事である。

センスがあっても応用が利かなければ勤まらず、その上、個性の強い人間相手の仕事だ。

しかも、修行中の最初はお金も貰えないのである。

十年近く彼女を見て来て、よくやるなあ、と感心している。

どんな仕事も手を抜かず、あきらめない。

こういう人たちと仕事をしていきたいと私は思っている。
 

広河隆一責任編集の「DAYSJAPAN」[絶望のパレスチナ]を読んだ。

パレスチナについて、私たちはあまりに知らなさ過ぎると改めて思う。

問題の底には、やはり大国の介入がある。

ただ、宗教問題だからと、表面的に考えてしまうのは危険である。

まず、知るということが肝心だと思う。知らなければ何もできない。
 

 バングラディッシュの男性の女性への虐待の記事もものすごい。

男尊女卑の悪しき伝統が人間を変えてしまうのか?

毎日殴られ、挙句の果てに、顔や体に硫酸をかけられてしまった女性たちがいる。

夫が妻を自分の持ち物だと思い込み、家畜扱いした結果なのだが、

子供を生む道具としか考えない男たちの話はこの国だけのことではあるまい。

気が重く、ショックであるが、世界の多くが、様々な問題を抱え、

飢えに苦しんでいるのである。自分のできることをまた考えた。
 

 とにかく、台本を作らなければ。
 

 

 

       渡辺えり子
 

 

 

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2004/7/8(木)〜12(月)
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地方の仕事が多かったのと、忙しかったのとで、日記がなかなか書けなかった。

8日、9日はドラマの撮影で日活の撮影所に行っていた。

弁護士役だったので、8日は丸暗記するしかないような専門用語を必死で喋り、

9日は一日中、傍聴席に座りっぱなしだった。医療ミスの裁判なので日常では使わない言葉が矢継ぎ早に出てくる。

なんと、本番中に眠ってしまい、みんなに笑われてしまった。

奥さんが私と同じ高校を出たという監督から「傍聴席に座る役をやった人は、みんな寝るんですよ。」

というなぐさめの言葉をいただいた。

毎日徹夜なので、つい、黙っている役だと居眠りしてしまう。

椅子も小さいので、エコノミー症候群になってしまいそうだった。

 

9日は撮影が押して、劇団の稽古は夜の7時半からになった。

先週よりはみんな良くなっていて、本も読み込んでいる人が増えていた。

ただ、17年前の作品で、しかも大正時代の設定のため、等身大の役作りしかしていない人には無理な役が多い。

テストで良い点を取ることしか教えない、今の学校教育や、家庭でのコミュニケーションのなさが恨めしくなってくる。

自分を超える。夢を作る。その面白さを伝えなければならない。

役を客観視する前に、自分自身を客観視するという作業が必要だが、これがなかなかできないようである。

どうしても、自分の内側に閉じこもり、自分のためだけに演技しようとするきらいがある。

芝居は客が喜ぶためのものであり、自分のマスターベーションのためのものではない。

この日はこれをしつこく伝えた。そして対話である。これができる人が少ない。

これからやることが山のようにある。基礎訓練の開放からやらなければならないだろう。
 

 10日は群馬県へ講演のために出かけた。

文学座から頼まれた仕事で、行ってみて初めて全容が分かった。

演劇鑑賞会の地区のリーダーたちが年に一度集まる、懇親会のようなもので、会議なども行われるのだが、

旅館にみんなで泊まって、飲み会などもある。

私は午後三時からゲスト講師として話すのだった。

新劇団の制作の人たちも大勢集まっていて、盛り上がっていた。

私は鑑賞会のお客さんが来る会かと思っていたが、どの劇団を例会にするかを決める側の人たちの集まりだったのである。

芝居好きが集まっているので、話も面白く、私も調子に乗って、歌まで歌ってしまった。

文学座に書いた「月夜の道化師」が10月からこの地区で上演されるため、宣伝を兼ねて、私が呼ばれたのだった。

40年も50年もやり続けている劇団の制作の人たちの話は奥が深く、面白かった。

皆さんは共済組合で経営しているという旅館に泊まり、私だけ気を使ってもらって水上館という大きなホテルに泊まった。

徹夜で非戦の会の資料を読んだ。森沢典子著「パレスチナが見たい」は読んでいて涙が止まらなかった。
 

11日の午後東京にもどる。資料が重く、藤澤君に迎えに来てもらった。

新しく作った眼鏡を取りに行き、選挙の投票に行った。

家の近所の蕎麦屋で、土屋、藤澤、多賀と定食を食べた。

家に帰り、色々考え、稽古場で夏の合宿をすることに決める。

どうすれば劇団員がコミュニケーションを取り合い、触れ合うことができるのか?

個室主義、個食主義から脱することができるのか?たった二泊三日だが、やれることをやってみようと思う。
 

12日はフジテレビで「きっかけはフジテレビ」の記者会見だった。

先日アルプスまで行って撮影してきた、フジテレビのCMである。

詳細は近々フランス日記に書くつもりである。

記者会見の後、昼食会。

記者の方たちとフジテレビの局長、CMのプロデューサーたちと色んな話をする。

戦争のこと、野球の球団のこと、私の持論に熱心に耳を傾けてくださった。

勿論フランスでの撮影の裏話などもであるが。

とにかく台本を書き上げなくてはならない。書きあがったらフランス日記を書きたい。

できれば写真入にしたいのだが、デジカメで撮った写真、どうすればここに入れられるのかね?

石川文洋著「死んだらいけない」も良い本であった。

戦場カメラマンとして戦火を生き抜いてきた作者の言葉は重い。

命こそ宝という当たり前の言葉が、とても重いのである。


 

       渡辺えり子

 

 

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2004/7/7(水)
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今日は、結婚記念日でした。もう9年。あっという間である。夫が28歳。私が40歳だった。

夫は完全に今日の日を忘れていた。自転車で近所の飲み屋まで行き、ビールで乾杯した。

「七夕なのに、天の川も出ていない。佐渡島だったらきれいなのにな」と夫が言った。

芝居のこと、韓国の映画のことなど話す。
 

世の中は完全に勝ち組負け組みに分かれていて、どうも空しくなってくる、と夫は言う。

そんなことは考えず、ひとつひとつこつこつやっていくことが重要だろうと私。

プロセスの積み重ねがたまたま結果に現れるだけ、と私は考えている。

地面がなくては屋根も作れない。
 

今日は六時起きで二時間ドラマの撮影だった。

初めて一人で付いてくれた梅原君が途中で迷子になり、

そういう時は事務所に連絡するよう注意した。

劇団員を叱ったことなどをえり子日記に書いていたら、

「叱っていてばかりで嫌な人間だ」と言う読者がいたという。

公開日記というのは色んな問題がある。ここに登場させてしまった方に迷惑がかかってしまった。

これからは、迷惑のかからない、身内のことだけを書くしかないだろう。

お名前を出しただけで迷惑をかけてしまうのは本当に残念である。

これを読む方にお願いしたいのだが、どんな思いで書いているのか、

私の真意を汲み取っていただきたいと思うのである。

そもそもは劇団員の発案で書き始めた日記である。

今日あったことをなるべく素直に書こうと思ったが、読者が見えない分、なかなか難しい。

もっと方法をかんがえなければと思う。

4、5、6日は山形ロケだった。「蝉しぐれ」の撮影である。

女郎の役でワンシーンワンカットの出演である。

黒船来航前の長崎の娼婦のような髪型と言ってあったが、

飾りが地味だったので、ホテルのロビーで売っていた御殿マリをつけることにした。

時間をかけて準備したが、撮影はあっという間だった。

 

       渡辺えり子

 

 

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2004/7/3(土)
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 清瀬の病院で二時間ドラマの撮影。運転の練習で梅原君と一緒。

吉田君が座席の後ろで指導する。つい話に夢中になって道を間違えながらも、定時に到着。

竹下景子さん主演のスペシャル番組である。竹下さんに非戦の会の出演を打診する。

新築のホテルのような贅沢な病院であった。

竹下さんについているスタイリストに声を掛けられる。

10年以上前、一度仕事をご一緒していて、桜田淳子ちゃんと一緒だったという。

家に直接衣装合わせにいらしたことがあって忘れられないとおっしゃったが、

どうにも思い出せない。淳子ちゃんとのドラマは思い出した。福田陽一郎さん演出だった。

淳子ちゃんは感性豊な、良い女優さんだった。お元気なのだろうか?

もっともっと一緒にやりたかったなあ、と、ひどく懐かしくなった。
 

 午後6時から劇団の試演会のオーディション。

吉田、藤澤は前より集中力も増し、気合が入っていたが、

他はほとんど、暗記しただけといった感じ。雰囲気も暗く、自閉している。

役がすでに決まっている者はリラックスして演じている。

これだけ言い続けてもだめかと落ち込む気持ちを抑えながら、

基本的なことを一から伝えていく。来週もう一度やることにする。非常に疲れた。

だから細かなことは書く気力もないのである。
 

   

       渡辺えり子

 

 

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2004/7/2(金)
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 午後1時より、淡島通りの劇作家協会へ。会報誌「ト書き」の編集会議。

別役実氏、事務局の勢籐氏と打ち合わせ。劇作家協会に入って12年。ト書きを作って8年になる。

無給で、多くの仕事をしてきたが、見返りを求めてはいけない、労多い仕事である。

後から、新しく広報部になった鈴木聡氏がくる。

手が足りないので、編集員になってくれないかと懇願する。もう少し様子を見てからということ。

劇作家協会の仕事の多さに驚き、そのことが世間に知られていないことの不思議を感じたらしい。

しかしその不思議さにも魅力があることは確かという。

その仕事の多様さ、そして自由さ。他にはない長所だとは思うが、

一部の作家に仕事が偏りすぎていることは確かである。

みんな、寝る時間を削って働くしかない。その恩恵をこうむりながら、

自分の劇作だけに力を注いでいる人は幸せである。
 

 四時、教育部の斉藤憐氏、篠原久美子氏現る。

ドキュメンタリージャパンのスタッフと、杉並の小学校の演劇の授業の打ち合わせ。

この二人は細かい仕事を実に丁寧にやって下さる。
 

憐氏が、先日の勘九郎劇場で、私が即興で作った、踊りのための作詞をやけに褒めてくださった。

津川雅彦さんが御題を出して、私が10分で作詞し、三味線の方が10分で曲を作り、

振り付けの方がやはり10分で踊りを作って、その場で勘九郎さんが踊ったというもの。

本当に大変だったが、楽しい仕事だった。
 

 農大通りで、明日の撮影のための眼鏡を買う。弁護士役で使うもの。

午後五時半、自宅稽古場でトップシーンの村尾さんと2006年の旅公演の打ち合わせ。

制作の多賀と三人。細かいことがようやく分かる。

村尾さんが帰った後、多賀に色々な報告を受ける。連携ミスなどを注意。

8時坂本が台詞あわせに来てくれる。坂本の実家からのスイカを食べる。
 

梅原が明日の運転の練習に来る。

話し合いが長引き、なかなか台詞あわせができないでいたのだが、明日は台詞がないことが発覚する。

私が原稿の校正をしている間、坂本に台本直しのチェックなどしてもらう。

係を分業しすぎて、連携がないため、今日締め切りの校正が重なってどっときてしまう。


午後11時みんなが帰ってから、やっと夕ご飯を食べる。私が仕事のため、土屋君が作ってくれた。

12時マッサージを受ける。
 

   

       渡辺えり子

 

 

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2004/7/1(木)
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 TBSのたけしさんと渡辺真理さんが司会の番組の収録。有明スタジオ。

水虫にも、心臓病にもなりやすいタイプだったということが分かる。

私の隣は小倉優子さん、これで三回目である。なぜかいつも隣である。

竹内都子さんはまた太っていたが、私もほぼ同じくらい太っていることに改めて気づいた。

医者にも体のためにやせるよう言われ、

新目さんにも真顔でしみじみ「やせたほうが良いですね」と言われる。

運転の吉田君にまで、帰りの車で「やせた方がいいですね」と言われた。
 

市谷で先日の二時間ドラマの衣装合わせ、第二弾。

今度は先日とガラリと変わって、色鮮やかなスーツ。

仕事場で、スタイリストの矢野恵美子さんと待ち合わせ。

フランスで買ってきたカーテン生地を見てもらい、寸法をきちんと計って、

矢野さんの友人に作っていただくのである。

私が寸法を間違えてしまい、奥の部屋のカーテンが足りない。

「またフランスに行って買い直したら?」という矢野さんの冗談にも笑えなかった。

パッチワークのように別の生地を合わせて貰う、ということで落ち着いた。

電話でまたまた劇団員を叱りながら、夜が来た。

今日は弟の誕生日だった。確か47歳になってしまったはずである。

可愛い赤ん坊だったのに、ほんと、光陰矢のごとしである。
 

   

       渡辺えり子


 

 

 

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