2004/7/8(木)〜12(月)
--------------------
地方の仕事が多かったのと、忙しかったのとで、日記がなかなか書けなかった。
8日、9日はドラマの撮影で日活の撮影所に行っていた。
弁護士役だったので、8日は丸暗記するしかないような専門用語を必死で喋り、
9日は一日中、傍聴席に座りっぱなしだった。医療ミスの裁判なので日常では使わない言葉が矢継ぎ早に出てくる。
なんと、本番中に眠ってしまい、みんなに笑われてしまった。
奥さんが私と同じ高校を出たという監督から「傍聴席に座る役をやった人は、みんな寝るんですよ。」
というなぐさめの言葉をいただいた。
毎日徹夜なので、つい、黙っている役だと居眠りしてしまう。
椅子も小さいので、エコノミー症候群になってしまいそうだった。
9日は撮影が押して、劇団の稽古は夜の7時半からになった。
先週よりはみんな良くなっていて、本も読み込んでいる人が増えていた。
ただ、17年前の作品で、しかも大正時代の設定のため、等身大の役作りしかしていない人には無理な役が多い。
テストで良い点を取ることしか教えない、今の学校教育や、家庭でのコミュニケーションのなさが恨めしくなってくる。
自分を超える。夢を作る。その面白さを伝えなければならない。
役を客観視する前に、自分自身を客観視するという作業が必要だが、これがなかなかできないようである。
どうしても、自分の内側に閉じこもり、自分のためだけに演技しようとするきらいがある。
芝居は客が喜ぶためのものであり、自分のマスターベーションのためのものではない。
この日はこれをしつこく伝えた。そして対話である。これができる人が少ない。
これからやることが山のようにある。基礎訓練の開放からやらなければならないだろう。
10日は群馬県へ講演のために出かけた。
文学座から頼まれた仕事で、行ってみて初めて全容が分かった。
演劇鑑賞会の地区のリーダーたちが年に一度集まる、懇親会のようなもので、会議なども行われるのだが、
旅館にみんなで泊まって、飲み会などもある。
私は午後三時からゲスト講師として話すのだった。
新劇団の制作の人たちも大勢集まっていて、盛り上がっていた。
私は鑑賞会のお客さんが来る会かと思っていたが、どの劇団を例会にするかを決める側の人たちの集まりだったのである。
芝居好きが集まっているので、話も面白く、私も調子に乗って、歌まで歌ってしまった。
文学座に書いた「月夜の道化師」が10月からこの地区で上演されるため、宣伝を兼ねて、私が呼ばれたのだった。
40年も50年もやり続けている劇団の制作の人たちの話は奥が深く、面白かった。
皆さんは共済組合で経営しているという旅館に泊まり、私だけ気を使ってもらって水上館という大きなホテルに泊まった。
徹夜で非戦の会の資料を読んだ。森沢典子著「パレスチナが見たい」は読んでいて涙が止まらなかった。
11日の午後東京にもどる。資料が重く、藤澤君に迎えに来てもらった。
新しく作った眼鏡を取りに行き、選挙の投票に行った。
家の近所の蕎麦屋で、土屋、藤澤、多賀と定食を食べた。
家に帰り、色々考え、稽古場で夏の合宿をすることに決める。
どうすれば劇団員がコミュニケーションを取り合い、触れ合うことができるのか?
個室主義、個食主義から脱することができるのか?たった二泊三日だが、やれることをやってみようと思う。
12日はフジテレビで「きっかけはフジテレビ」の記者会見だった。
先日アルプスまで行って撮影してきた、フジテレビのCMである。
詳細は近々フランス日記に書くつもりである。
記者会見の後、昼食会。
記者の方たちとフジテレビの局長、CMのプロデューサーたちと色んな話をする。
戦争のこと、野球の球団のこと、私の持論に熱心に耳を傾けてくださった。
勿論フランスでの撮影の裏話などもであるが。
とにかく台本を書き上げなくてはならない。書きあがったらフランス日記を書きたい。
できれば写真入にしたいのだが、デジカメで撮った写真、どうすればここに入れられるのかね?
石川文洋著「死んだらいけない」も良い本であった。
戦場カメラマンとして戦火を生き抜いてきた作者の言葉は重い。
命こそ宝という当たり前の言葉が、とても重いのである。
渡辺えり子
|