6/3(金)  6/13(月)  6/19(日)

 

2005/6/19(日)
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東京の千秋楽

 今日、「ミザリー」の東京公演の千秋楽でした。

昨日もおとといも昼夜二回公演で、今日は昼公演。五回連続というのは体も精神もクタクタ。

でもお客さんの笑顔を見ると、何だか疲れも消えるから不思議です。

毎回大声を出して喚くシーンがあるため、毎朝耳鼻科に通って、

声が潰れないようにして、夜は導眠剤を飲んで頑張りました。
 

 精神を病んだアニーの気持ちを思うと、やはり毎日落ち着きません。

小日向さんとの芝居で毎回、新しい発見があり、進化し続ける舞台になっています。

 楽屋に寄ってくださるお客様も色々と嬉しい感想や意見をいってくれて助かります。

「二人芝居とは思えない、大勢役者が出ている印象」「二人の人物の孤独が伝わった」

「怖いだけじゃない、悲しかった」等、よし、頑張ろうと勇気の出る言葉を沢山いただきました。

 今回、上の劇場のロックの音と振動がこちらの舞台に伝わってきて、

小日向さんと二人、集中するのに必死でした。

負けてたまるか!という気持ちと芝居を愛していれば、演劇の神様が味方してくれるはずだ。

と信じる心でやりぬいたという感じです。人間必死になると思わず「神様」を出してしまいます。

劇場の袖で思わず「神様」と祈ってしまうのです。

私は無宗教なので、やっぱり演劇の神様に祈ってしまうのです。

子供の頃は「母ちゃん助けて」と祈ってました。
 

 二時間喋りっぱなしで、段取りも多く、翻訳劇特有のカタカナの名前も多く、それにクタクタ。そして、騒音。

でも私は山形、小日向さんは北海道の出身。ふたりとも粘り強く、あきらめないタイプ。

最後まで気を抜かずに頑張ります。

 それに私はこのアニーという役を愛してます。

孤独で愛を知らず、ひとりぼっちのアニーという女性を愛しています。

だから何があってもやり抜こうと思っているのです。そして、相手役の小日向さんも大好きです。

ふたりで励ましあいながら頑張ります。
 

 香川県、大阪、四国、九州、広島とこれから回ります。

7月3日まで、暑い季節ですが、舞台の設定の、雪深いコロラド州の田舎にいるつもりで過ごします。
 

 なぜか今回、東北、北海道の旅がないのが残念です。
     


 


 

   

       渡辺えり子

 

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2005/6/13(月)
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 「ミザリー」公演は亀有で始まり、横浜、筑波、甲府、三島、静岡と続いて、

14日からいよいよ東京公演である。劇場は千五百人の小屋から三百人の小屋までという多様さで、

本番の二時間前に入って、反響や、裏の仕組み、トイレの位置などを毎回念入りにチェックしなければならない。

早替えが多いので、少しのミスも許されないのである。
 

 お客様はどの劇場でも熱心に食い入るように観てくださっている。

良く笑ってくださり、真剣な場面は、水を打ったように静かになる。大入りのお客様に心から感謝である。

 私は本当は怖いドラマが苦手で、今流行りの恐怖映画も一本も観たことがない。

予告編を観ただけでも縮み上がり、夜も眠れなくなってしまうからである。

元来、非常な怖がりで、お化け屋敷に友人と入った時も、

泣き叫んで、友人のTシャツをぐじゃぐじゃに引っ張って伸ばしてしまい、弁償したくらいである。

 今回、足を切る場面は本当に嫌だった。

作り物とは言え、稽古場で初めて斧で足を切る時は吐きそうになったくらいである。

本番では斧を振り上げた時に暗転になるので、なるべく作り物の足に斧が当たらないように工夫している。


 二人芝居なので、舞台上の工夫は二人でしなければならず、

小日向さんは切られて悲鳴を上げながら、自分で作り物の足を切って折り曲げているのである。

それを考えると笑いそうになるが、今回は何があっても噴き出さないよう気をつけている。

 ふたりとも舞台上で色々とやらなければならない段取りが多いので、気を抜く暇はなく、

何回やっても飽きるということがない。たぶん慣れた頃に千秋楽になるのだろうと思う。
 

  私の演じるアニーという女性はやはり悲しい女性だと思う。

子供の頃、火事で家族の全員を亡くし、引き取られた養父には虐待され、愛情を知らずに育ってきた。

自分も愛する人にどうやって接したらいいのか良く分からないでいる。

しかし、人は人にして貰ったことで学習し、その体験から生きる術を学んで行くものであろう。

アニーの行動を見ると、彼女の不幸が分かってくるのである。
 

 今回の戯曲は原作とも映画とも違っている。

作者が、少数派の痛みの部分をていねいに描き、

彼女を狂わせてしまった原因のひとつに現代社会の欺瞞があるのではないか?と問うているのである。

彼女の孤独と作家ポールの孤独が重なり合うところが見所になっているように思えるのである。

どちらが加害者で被害者なのか?すべてにおいて奥が深い戯曲であると思う。

 アニーが気分が滅入った時に行く、丘の上の「笑いの場所」は

アメリカの人気童話「リーマスじいやの物語」の中のエピソードから取ったものである。

 かしこいうさぎが、きつねを騙して連れて行った「笑いの場所」はそこに出かけたきつねが笑う場所ではなく、

生い茂った茨で怪我をしたり、蜂に刺されたりしてひどい目に合い苦しむきつねを見て、うさぎが笑う場所であった。

 「笑いの場所」に出かけたからといって、アニーはそこで笑うのではない。

自分で自分を傷つけ、傷付いた自分を笑う場所である。

たったひとりの孤独なアニーは、鬱状態になると、うさぎときつねの二役を自分で演じる場所に行くのである。

なんて寂しい行為であろう。
 

 隣の家まで何マイルも離れている、辺鄙な場所の一軒家にたったひとりで暮らし続けるアニー。

純粋すぎて、感じやすいために、テレビもドラマやニュースなどは見られず、

ショッピングの番組しか観られない。たったひとつの楽しみはポールの書いた小説「ミザリー」だけ。

ミザリーは「悲惨」という意味で、元来人の名前にはつけない言葉である。
 

悲惨な人生を生きてきたアニーは自分より悲惨な運命に立ち向かう「ミザリー」の物語を読むことで、

どうにか生きてこられたのだった。理解者も友達もなく、周りにキチガイ扱いされながら孤立し、

病気に苦しむアニーは、現代の闇の部分の暗喩のように思えて仕方がない。
 

 東京は一日二回公演が多い。体調を整えて挑みたい。声を大事にしたい。当分禁酒である。 


 

   

       渡辺えり子

 

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2005/6/3(金)
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 今日、亀有リリオホールで「ミザリー」の初日が開いた。

お客様がみんな身を乗り出して観劇。私と小日向さんの演技の一挙手一投足に反応をして

下さった。痛いほどの視線を感じた。

休憩中に小学生が「アニー怖いよう」と泣きそうになっていたそうだが、大人の観客は泣

いてくださった。格闘シーンも、私が血だらけで現れるシーンも笑って下さった。足を切

る場面も笑って貰ったので、ホッとしたのだった。私自身怖い芝居は苦手で、今回は笑っ

て泣ける芝居にしたかったのである。

 苦笑ではなく、ここまでやってくれるのね。といった笑いと、孤独な人間の痛みを感じ

てもらえればと考える。人の愛しかたのわからない不器用な人間。そして少数派の痛み。

これは特別な物語ではないと考えている。

 台詞の量も膨大で、二週間という稽古時間は少なすぎたと思うけれど、私も死ぬ気で頑

張りました。中旬まで地方を回り、シアターアプルで一週間やります。

小日向さんは気があって大好きなので、大変な稽古も楽しく過ごすことができました。こ

れからもっともっと面白くしていきたいと思っています。

良い初日だったと演出の松本さんも観劇して下さり、五日の横浜も緊張し過ぎずに演じら

れることを祈っているところです。



 


 

   

       渡辺えり子

 

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